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軽率な判断の危なさ


弁護士としての初めての裁判でした。私の依頼人は何人かの弁護士から、訴訟に勝てないと言われていたにもかかわらず、相手が言っていることは間違っていると強く言っていました。相手側が書いた陳述書を最初に読んだとき、勝つ見込みがないと感じました。けれども、依頼人は最後まで妥協しないように私に言うので、裁判を引き受けることにしました。

まず原告である相手側が証言し、その後私が反対尋問をしました。原告の答えはあまり説得力がなかったし、ある部分では偽りの証言をしていたことが明らかになりました。

相手側の証人の話したことと陳述書の内容も違っていました。さらに質問すると、陳述書は相手側に有利に書かれているのに、証人が実際に見たことはなんと私の依頼人の話と似ていました。相手側の二人目の証人、3人目の証人の証言の内容によって、これまである大事な事柄について相手がまだ証言していなかったことが明らかになって、私の依頼人が語った通りであったことが分かりました。次は私の依頼人が証言し、反対尋問を受けましたが、内容は揺るぎないものでした。結局、依頼人が裁判に勝ちました。

裁判の後、聖書にこの言葉が書いてあることを思い出しました。「最初に訴える者は、その相手が来て彼を調べるまでは、正しく見える。」良く調べてから判断することの大切さが教えられています。皆さんは毎日さまざまな判断をしていると思いますが、よく調べずに判断をすることがないか、再確認してみましょう。また、日常の判断だけではなく、聖書の神様についての判断も、良く調べた上でするようにお勧めします。


(2011年 通巻 8号)

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