先日、仕事で困った時、久しぶりに再会した大学時代の友人に助けてもらう経験をしました。同じ建物の中で働いていたものの、部署が異なるため、これまで顔を合わせる機会がなかったのですが、その部署に相談をしたところ、たまたま友人が対応してくれたのでした。私はこの出来事を通して、困っている時に自分を助けてくれる存在が側にいてくれることの大切さを改めて実感しました。
これまでの人生を振り返って、自分が辛くて苦しい思いをしている時、多くの人に助けられたり、そばにいて励まされたりしたことを思い出します。ただ、人の助けには限界もあります。時間が経てば、お世話になった方が年を取って亡くなることがあるかもしれませんし、学校を卒業したり、職場が変わったりすれば、それまで親しくしていた友人と疎遠になることもあるかもしれません。しかし、聖書の神は、クリスマスの出来事を通して、いつでも、どんな時にでも私達の側にいて励ましてくださる方であることを、聖書は語っています。
「『見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。』それは、訳すと『神がわたしたちとともにおられる』という意味である。」
マタイの福音書1章23節*
イエス・キリストの誕生は、その数百年前から旧約聖書で預言されていましたが、今回の箇所はその一つです。イエス・キリストは、イスラエルの中でも軽んじられた片田舎に住む貧しい大工の家庭に生まれ、当時の社会で蔑まれた人々と共に過ごされました。高いところから人々を見下ろすのではなく、誰もが「このようなところに救い主がいるはずがない」と言うような、まさにその場所で、イエス・キリストは人々のそばにいて励ましてくださったのでした。
私達も、辛く苦しい目に会う時、「誰も助けてくれる人がいない。自分は孤独だ」と感じることがあるかもしれません。そのような時はぜひ、聖書の神が「あなたは一人ではない。わたしがあなたとともにいる」と仰っていることを思い出していただきたいと思います。
*聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会 (2024年 通巻484号)
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