ここ数年、総合病院の口腔外科に通っています。歯根の治療のために昨年夏に手術を受けました。手術にあたって、いくつかの注意事項に留意し、日時も前日・当日よく確認したうえで余裕を持って、当日病院に到着しました。少し待たされた後に担当医が現れ「所定の時間に遅れたので、今日の手術はキャンセルです」とのこと。予約時間は確認したはずだったので、診療カードに印字されている月日と時間を医師に見せました。
担当医は「あれ?」と言って、しばし沈黙の後に「いずれにしても今日は手術はできません」とのこと。お詫びの一言もない理不尽な場面でした。私は心の中で医者を責めました。
その後手術は終わり、数か月後に経過観察ために病院を訪れた時のことです。普段は遅れることはあまりないのですが、その日は急な家の用事で5分ほど遅れてしまいました。10分ほど待たされて診察台に行った時に、例の担当医から「予約時間に遅れましたね!」と言われました。今度は自分自身の失敗です。自分も相手に失礼をしたのです。その時に思い出した聖書のことばをご紹介します。
"あなたは、兄弟の目にあるちりは見えるのに、自分の目にある梁には、なぜ気がつかないのですか。"マタイの福音書 7章 3節
「梁」とは建物の屋根や床を支えるための太い木です。イエスが語ったこのことばは、自分の目には大木が入っているのに、他人の目の中のちりを指摘する愚かさを戒めています。
更にイエスはこのことばに続いて下記のように語っています。
"偽善者よ、まず自分の目から梁を取り除きなさい。そうすれば、はっきり見えるようになって、兄弟の目からちりを取り除くことができます。"マタイの福音書 7章 5節
私自身も他人の欠点を指摘する前に自分を良く点検したいと思いました。そうすれば、「はっきり見えるようになって」はじめて他の人にアドバイスができるのだと思います。
そして、そのような曇りない視点を人に与えるのは神の力に他なりません。自分で自分の視点を健やかに保つのは人間には難しいようです。聖書のことばに日々教えられたいと思います。
(2025年 通巻489号)
Comentários