今年、道内の大手スーパーの撤退が相次いで発表されました。東京のいくつかのスーパーが北海道へ上陸したのは、札幌オリンピック後の1970年代だったそうです。筆者は幼い頃にそのスーパーをよく利用した記憶があります。引っ越した先にも店舗がありましたが、ついに閉店の日を迎えました。閉店セールに行って、郷愁のようなものを感じました。後継店が決まったことには、ホッとしています。
私達はつい「昔は良かった」と愚痴をこぼしがちです。会社でも高度経済成長期の「昔は良かった」と懐かしむ人がいるでしょうか。しかし総合スーパーが進出することによって、駅前の商店街がさびれてしまった所もありました。業界の争いは熾烈で、バブル崩壊後、他の会社に吸収されたスーパーもありました。消費者のニーズが変化し、商店街から総合スーパー、コンビニ、そしてディスカウントストアやショッピングモール、ネット通販の時代へと移っていきました。
日本の鎌倉時代に書かれた平家物語の冒頭には、「諸行無常」「盛者必衰」という仏教用語が出てきます。さらに「風の前の塵(ちり)に同じ」という言葉に、この世の空しさを感じます。栄華を誇った平氏が、源氏に敗れていく姿に「栄枯盛衰は世の習い」と教えられます。
聖書の中にも、世の空しさを繰り返し述べる書があります。そして
「私は、日の下で行われる すべてのわざを見たが、
見よ、すべては空しく、風を追うようなものだ。」
(伝道者の書 1章14節)*
「『どうして、昔のほうが今より良かったのか』と言ってはならない。
このような問いは、知恵によるのではない。」 (同書7章10節)*
と語ります。空しい世間を渡るには「知恵」が必要です。「時代の流れだから仕方が無い」とあきらめの境地に至ることもあるでしょう。そんな時、ぜひ聖書を開いてみてください。時代を超えた「知恵」に出会い、空しさの先にあるものが見えてきます。
*聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
(2024年 通巻480号)
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