「反則金を支払う」
- Masato Ujiie
- 3月17日
- 読了時間: 2分
お恥ずかしい話ですが、筆者は咋年末、信号無視で警察に捕まりました。右折信号待ちをしていて、右矢印が消えたにも関わらず、強引に曲がったところ、パトカーがいた、という状況です。「道路交通法」という法律に基づいて違反青切符を切られ、翌日、反則金を支払いました。これで刑事処分は免れたことになります。しかし違反点数2点がつき、次回はゴールド免許になりません。
その前月、ゴールド運転免許証の更新をしたばかりでした。その講習の中で、横断歩道の手前で一時停止しない車が多いという話を聞きました。自分が歩行者の時に、横断歩道前で止まらない車のことを、心の中で非難していました。しかし自分が運転者になると、気持ちが大きくなりがちです。改めて自己中心で傲慢な自分に気が付かされました。
聖書には「法律」ではなく、「律法」という言葉が出てきます。「律法」とは、神が私たちに「このように生きよ」と示された生きる道しるべです。律法に違反すると、罪を犯したことになります。旧約聖書の時代は、動物のささげ物(いけにえ)で罪のゆるしを得ていました。罪を犯した人の身代わりに動物が殺されたのでした。しかし私たちは、すべての律法を守ることはできず、律法を通して罪の意識が生じるだけです。そして罪は、私たちを死に至らせます。
しかし、そのような私たちを罪とそのさばきから救い出すために、神は、ひとり子イエス・キリストを派遣しました。新約聖書には次のように書かれています。
「罪を犯している者はみな、律法に違反しています。罪とは律法に違反することです。」 (ヨハネの手紙第一 3章4節)*
「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥(なだ)めのささげ物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」 (同書 4章10節)*
聖書は、イエス・キリストが十字架で私たちの罪を身代わりに引き受けて死なれたので、私たちの罪がゆるされると語ります。ここに究極の愛が示されています。「律法」ではなく「福音(よい知らせ)」による、ゆるしです。皆さんも是非、この「良い知らせ」を受け取ってください。
*聖書 新改訳2017©2017 新日本聖書刊行会
(2025年 通巻490号)
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