先日、ネットで抗がん剤治療の副作用で髪が薄くなった女性が、断腸の思いで髪を丸刈りにしている動画を見ました。
髪を切っている間、とても悲しそうにしている女性は、美容師の問いかけにも言葉少なで落ち込んでいる様子です。すると、突然その美容師がバリカンで自分の頭を丸刈りにし始めました。驚いた表情の女性。すると、隣から別の美容師が顔を出し、今度はその美容師も頭を丸刈りにし始めます。すると今度は別の美容師も女性と同じ髪型に・・・。その光景を見た女性は涙をぬぐいました。
美容師にとって自分の髪型は商売道具でもあるはずです。自分の姿を犠牲にしてまで、一人の顧客に寄り添おうとする姿に、「寄り添う」ということはどういうことか考えさせられました。
「寄り添う」という言葉は、共感する。相手を受けとめる。とも言い換えることができます。
ところが、もともと経験や財産、健康状態など多くの異なる立場にある者が、他者に「共感」し「受けとめる」行動をとるのは簡単ではありません。特に困難を抱えた人に対処する医療・福祉従事者には、このための専門的スキルが必要とされているほどです。ですから、とっさに大胆な行動をとることができた美容師たちの行動は素晴らしいと思いました。
聖書にはこのような記録があります。
「取税人たちや罪人たちも大勢、イエスや弟子たちとともに食卓に着いていた。大勢の人々がいて、イエスに従っていたのである。」(マルコ2:5)
イエス様には、当時の社会で嫌われ、疎外されていた大勢の人々がつき従っていました。イエス様はその人々に寄り添うことができたからこそ、多くの人々に慕われたのだと思います。
イエス様はどんな人にも寄り添ってくださる方です。私もその姿勢に励まされつつ、困難な時にも共に歩んでくださる主に信頼できることの幸いに感謝しています。
(2024年 通巻482号)
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