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「スーパーのレジ3分、コンビニのレジ2分」

  • 執筆者の写真: Masato Ujiie
    Masato Ujiie
  • 2016年2月20日
  • 読了時間: 2分

シチズンホールディングスが全国のビジネスパーソン400人を対象に行った興味深い調査があります。その名も「待ち時間」意識調査。調査結果から、各項目で最も多くの人がイライラすると回答した待ち時間の“リミット”は次の通りです。

総合病院60分、役所15分、通勤時の電車の遅れ10分、金融機関のATM5分、スーパーのレジ3分、コンビニのレジ2分、エレベーター1分、電話口で待たされる時間30秒、インターネットのコンテンツにつながるまで15秒。


これは2013年になされた調査です。今ではどうでしょうか。もう少し長く待てるという人も、いやそんなに待てないという人もいることでしょう。筆者もお店のレジに3分は待てる自信がありません。経済の成長とともに私たちの生活水準は高くなり、とても便利な時代となりました。一方で、便利さゆえに時間がかかることに待てない、忍耐力の低下ということが何年も前から指摘されています。

公共機関の待ち時間、仕事の成果が出るまでの時間、取引先からの連絡、恋愛、子育て...。待たされるという事態に陥ったとき、その時間を楽しむよりもイライラを募らせ、落ち込んだり、気力を失ったりしてしまうことが多々あります。自分の力ではどうすることも出来ず、待つこと自体をマイナスに捉えてしまうこともあるでしょう。


しかし、すべての時間の背後には、その時間をもご支配なさる神がおられます。

「私の時は、御手の中にあります。私を敵の手から、また追い迫る者の手から、救い出してください」(詩篇31篇15節)

この詩の作者は、目の前の現状を自分ではどうすることも出来ず、神の助けを待つしかありませんでした。しかし彼はすべての時を支配される方が助けて下さることを覚え、この詩の最後には次のように詩っています。

「雄々しくあれ。心を強くせよ。すべて主を待ち望む者よ」(詩篇31篇24節)

自分の思い通りにいかない時も、待つしかない時も、それで終わりではない。その時間をも意味あるものとされる神がおられる。意図せずに待たされる時間ができたとき、その時間をどう受け取るか、視点を変えて楽しんでみてはいかがでしょうか。私たちの時は神の手の中にあります。


(2016年 通巻221号)

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