「きちんと確認しなければ」
- Masato Ujiie
- 2013年10月5日
- 読了時間: 2分
8月31日をもって、イングランドプレミアリーグのシーズン前の移籍期間が終わりました。世界中の目がサッカー選手の移籍に注がれていました。日本でも多くの報道がありました。その中で、マンチェスター・ユナイテッドというチームに関しては、不可解な話がありました。
アンデル・エレーラ選手はアスレティック・ビルバオの所属ですが、ユナイテッドが彼と契約しようとしているといううわさが夏に広がっていました。 「ユナイテッドの代理人である3人の弁護士が、アスレティック・ビルバオのあるスペインのリーグ本部に交渉に行った」ということが、そのうわさの根拠だったようです。ユナイテッドがエレーラ選手と間もなく契約するというニュースが世界を流れたのはそのためでした。しかし、その直後に、ある記者がテレビのインタビューでその3人は詐欺師であって、マンチェスター・ユナイテッドとは何の関係もないと言いました。ところがこれもまた確固とした根拠があったのかどうかが不明のままです。結局、一般の人々には何が真実か分からなくなってしまいました。今でも真相は藪(やぶ)の中です。
この不可解な話は一つの大事切なことを教えてくれます。言われたことをわきまえもなく信じることの危険性ということです。先ほどの記者の話は、それまでの一連の報道と矛盾していても事実として報道されてしまいました。記者は、うわさ話の信ぴょう性をもう少し丁寧に確認する必要がありました。
聖書では、次の言葉があります。「わきまえのない者は何でも言われたことを信じ、利口な者は自分の歩みをわきまえる。」(箴言14:15)
この箇所から第一に教えられることは、自分に伝えられた話をきちんと確認することの大切さです。先ほどのマンチェスター・ユナイテッドについての話と共通することです。第二に教えられることは、自分の歩みを確認することです。箴言では、わきまえのない者と利口な者が対比され、自分に伝えられた情報を確認する能力と、自分のことを理解する能力の間には深い関連があることが示されています。
自分に伝えられた情報を確認し、自分の歩みをわきまえるための能力を高めていくことをお勧めします。聖書は、その両方についてよい助けになってくれるでしょう。
(2013年 通巻114号)
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