私はアルコール依存症者の中間施設に勤務しています。
お酒は日本では「百薬の長」とも言われます。一方で飲酒が原因での事件も連日報道されています。さまざまな理由でお酒を節酒したい、あるいは断酒の決意をしている方も多いのではないでしょうか。
お酒の飲みすぎは人を酩酊させ、酩酊状態が続く連続飲酒とその諸症状により依存症と診断されることになるでしょう。アルコール依存は結果的に本人の精神を含む健康、離婚、学業あるいは就業の問題、窃盗や暴力等の社会的問題をもたらし、その影響は親族にまで及ぶことが多いのです。
さて、聖書にお酒についての記述は多くあります。例えば箴言23章20節には「大酒飲みや、貪り食うものと交わるな」と書かれています。その直後の21節には大酒飲みは「貧しく」なると書かれています。また、同20章1節には「ぶどう酒は嘲(あざけ)る者。強い酒は騒ぎ立てる者」と書かれています。
酔いが醒めた後に我に返り、酔っていた時に起こした自分の行動や言動の結果に愕然とするでしょう。そしてもう二度とそのような過ちは犯さない、家族に迷惑をかけたくない、とその時だけは思うことでしょう。依存症者も基本的には自分の願う善を行いたいと思うはずです。
しかし節酒が全く無力である依存症からの回復のためには、今まで当たり前と思い意識していなかった日常に感謝し、明日はわからないかもしれないが今日一日一日をシラフ(酒を飲まない、並びにギャンブルや薬物を行わない)で過ごす事の大切さ、また物質に依存しない本当の生き方について聖書はあらゆる箇所でメッセージを送っています。
「遊興や泥酔、淫乱や好色、争いやねたみの生活ではなく、昼らしい、品位のある生き方をしようではありませんか」(ローマ人への手紙13章13節)
「ですから、明日のことまで心配しなくてもよいのです。明日のことは明日が心配します」(マタイの福音書6章34節)
依存症からの回復にとって専門的な治療プログラムは大切であると共に、聖書は隠された宝の宝庫でもあるのです。聖書は皆さんをお待ちしています。
(2025 年 通巻 487 号)
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